悲しみとともにどう生きるか
24年。
阪神・淡路大震災からもうそんなに長い時間が経ったんだと驚きます。
そうですよね、高校生だった私が40歳になってるんだもの。
TV画面の向こうで涙を流す人を見て、なんとも言えない気持ちになりながら、“悲しみとともに生きること”について考えました。
私のこれまでの人生で1番悲しかったことは、父を失ったことでした。
父が亡くなってから、私は寝込むことが増えました。
母と当時まだ学生だった弟は、悲しみを抱えながらも、日常生活に戻っていきました。
そんな母と弟を見て、
「どうしてこんなに悲しいのに普通に生活できるんだろう?」
心のどこかで2人を責めるような気持ちになることもありました。
逆に、2人のようになれない自分はおかしいのかと悩むことも。
そして、母と弟とは、この悲しみを一緒に乗り越えることはできないんだと、勝手に孤独を感じていました。
その孤独感は時間とともに薄れていったのですが、実は本当に晴れたのは昨年なんです。
「レジリエンス」
この言葉を知ったときです。
昨年の3月、(一社)ウェルビーイング心理教育アカデミーで「レジリエンスとストレスマネジメント」というセミナーを受講しました。(現在は「Wellbeing stress mindset 〜ストレスマネジメントとレジリエンスの支援法〜 」という名前になっています。)
レジリエンスは「回復力」、「復元力」、「再起力」などと訳されます。
この力があることは特別なことではなく、多くの人(約60%)にはこのレジリエンスが備わっているいるそうです。
とてつもなく悲しい出来事があっても、心身に症状が出る人と出ない人がいる。
それは悲しみの度合いではなく、レジリエンスがその時点で備わっているかどうかの違い。
これを知った時に、本当に「スーッ」って音が周りの人に聞こえるんじゃないか?って心配になるくらい、気持ちが軽くなったんです。
あの時、母と弟にはレジリエンスが備わっていて、私はあの時点では少しその力が弱かっただけ。
(今は確実にあの頃より備わっている自覚もあるし、レジリエンスを高めるために私たちができることはたくさんあります。)
「レジリエンスがあるかどうかの違いだった」という捉え方を知ったことで、私は自分で自分に勝手につけた傷をあっという間に癒やすことができました。
人生から悲しみがなくなることはきっとない。
でも、その悲しみとともにどう生きていくかは、自分で選べる。
そして、悲しみとともにどう生きるかは、人によって違うけれど、そのことで周りの人や自分を責める必要はない。
昨年学んだことを、改めて今日という日に思い出しました。
震災で大きな悲しみを抱えた方が、誰かやご自身を責めることなく、悲しみとともにそれでも穏やかな気持ちで過ごすことができますように。
スゴーく共感いたしました。
田中さま
うれしいコメントをありがとうございます!